〈写真:鈴々舎わか馬さん(現・柳家小せん師匠)/2005年すがや撮影〉

「インストラクショナルデザイン」事前レポート
『落語家の新弟子教育法』

 この文章は、早稲田大学人間科学部eスクールに入学直後の2005年度春学期に受講した「インストラクショナルデザイン」という科目で、初めて課せられた「事前レポート」です。

 そもそもeスクールに入学しようと思ったのは、「大学でマンガを教えないか」というお話しをいくつかいただき、大学での学び方・教え方を体験してみたいと大学で学ぶ方法を模索していたとき、たまたまテレビのニュースで大相撲の旭鷲山関が早稲田大学に入学したことを知ったのがきっかけでした。翌日のスポーツ新聞で、旭鷲山関がパソコンとインターネットを使った通信教育で学ぶことを知り、あわてて検索したら早稲田大学人間科学部eスクールにぶち当たったというわけです。

 eスクールのことを調べているうちに「インストラクショナルデザイン」という科目があることを知り、「こんな科目を受講すれば、マンガの教え方を理論化する方法がわかるのではないか」という思いに取りつかれました。そう、まさに「取り憑かれる」状態になって(けっこう思い込みが激しいんです)、受験を決意してしまいました。

 そんなわけで入学早々に「インストラクショナルデザイン」を受講したんですが、もちろん大学での学び方なんでわかりません。右往左往しながら闇雲にガムシャラに学ぶ状態で課題にも取り組むことになりました。

 このレポートは、「事前レポート」という名称のとおり受講開始直後に出されたもので、「自分の身のまわりにある教えと学びについてレポートせよ」という課題でした。マンガ家でもありますので、過去に体験したアシスタント教育でもテーマにすればいいものを、それじゃつまらないと考え、落語の世界を題材に採りあげました。古典芸能の世界における徒弟制度に関心があったからです。

 すぐさま落語家の修業時代を綴った本を読み、私がWebサイトを管理している古今亭菊之丞師匠のインタビューをネットで読み、落語会で知り合った鈴々舎わか馬さん(当時は二つ目、現真打の柳家小せん師匠)にインタビューさせていただいて、こんな架空インタビューの形式によるレポートを書き上げました。

 入学早々のことで、学術的文章もアカデミック・ライティングも知らないときのこと。「おもしろいレポート」を心懸けていた不届きな社会人学生でありました。

 で、このレポートを書いたときは、まだインストラクショナルデザイン(ID)について学ぶ前だったので気づきませんでしたが、いま読み返してみると落語の教育システムは、「行動分析学」「認知心理学」「状況的学習論」といった心理学が応用された古典的IDの教授学習システムを踏襲しているのがわかります。いや、落語の教育システムの方が古いんですから、IDの方が古典芸能の教育システムを踏襲してるんじゃないか……ってことにもなってきます。そんな観点からみると、古典芸能の教育システムは完成の域にあるともいえるのかもしれません。

 その後、『「わざ」から知る (コレクション認知科学)』(生田久美子/東京大学出版会/1987〈改訂版2007〉)を読んで、やはり、同じようなことを感じました。能の世界なんて、室町時代には教育システムも完成していた……って感じがします。

 そのような意味ではマンガの教育システム(アシスタントシステム)も、ID的な観点からみれば理に適ったものといえそうです。そんな自身の教育体験の裏づけが欲しくて、大学で学ぶ道を選んだのかもしれません。

 ただし以下のレポートは、そんなリクツを学ぶ前に書いたものですので、そのあたりを割り引いて読んでみてください。

理想のインストラクションをデザインする(事前レポート)

「落語家の新弟子教育法」

はじめに――「落語家」を職業の例に選んだ理由

 私の職業は漫画家であるが、自分の職業についてレポートを書いても、体験から導き出された安易な結論に至る可能性が高く、授業のための事前レポートとしては、学習効果が得られるかどうか疑問が残る。そこで今回は、多少の知見はあるが、実際には経験したことのない職業を題材に選ぶことにした。新たに資料を読み、関係者に取材することで、未体験の世界や業界についての考察が得られる機会にもなると考えたからである。

「インストラクショナル・デザイン(ID)」という言葉からは、どこか「システム的」「効率的」といったニュアンスが感じられるが、今回は、あえて、そのイメージとは対極に位置するような、古めかしい職業を選ぶことにした。その職業は「落語家」であり、設計するのは、効率のよい新弟子育成法である。

 落語をはじめとする古典芸能の世界では、現在でも徒弟制度が残っており、かつ、師匠が弟子に対面しながら芸を教える方法をとっている。このような世界でも、IDが有効なのか。そんなことを検証してみたくて、意図的に、古い体質を持つ世界を題材に選んでみた。

 なお、前提となる取材を記録した部分は、意図的に口述筆記のスタイルをとることにした。これは、アメリカで個人の歴史を記録するために盛んにおこなわれているオーラル・ヒストリー(個人の歴史を学生、研究者、ジャーナリストなどが聞き取り、文章にしていくもの)のスタイルを意図したもので、落語家という特殊な職業と、その訓練の内容について、よりニュアンスを強く伝えたいという意図からである。

「語り手」は、稲穂亭えび茶(いなほてい・えびちゃ)という架空の落語家とした。芸歴40年のベテランで、当然、落語団体のなかでも重鎮のうちに入る落語家という設定である。それでは、ここから入門してきた弟子の育成法について、稲穂師匠の「語り」を聞き、そのうえで、新たな弟子の育成法を考えてみることにしたい。

1.落語家の階級制度

 このたび、新弟子の育成法を紹介しろってことで、ご指名を受けた稲穂亭えび茶と申します。以後、お見知りおきくださるようお願いいたします。

 落語家が、どうやって弟子を仕込むかって話をする前に、落語という特殊な世界のことを、ちょいと説明させてください。そっちが理解されてないと、弟子の鍛え方もわかってもらえないことになりますので。なんせ、まっとうな方々の目から見れば、非常識で理不尽なことばっかりしてますから。

 まず落語家ってのは完全な階級社会で、下から「見習い」「前座」「二ツ目」「真打」の4つの階級に分かれています。それに加えて、それぞれの階級の中に、厳然とした年功序列がある。年功序列ったって、ただ年齢の順番になってるわけじゃない。弟子入りした順番が序列の基礎になっているんです。

 たとえば大卒の22歳で入門しても、先に高卒の18歳で入門していた弟子がいると、そっちがアニさんになってしまう。上の階級、上の序列の人には絶対服従ってのも、落語家の世界の決まりです。いくら民主主義の時代だからって、落語には歴史と伝統があるわけですから、こればっかりは変えるわけにはいきません。

 師匠やアニさんが白いものを黒だといったら、その言葉に従う。まかりまちがっても「違います」なんていってはいけない。上に対して楯突けないってところは、昔の軍隊と同じなんです。

 こんな理不尽や不合理がまかりとおる世界ですから、なんですか、そのインストなんとかデザイン……へ、インストラクショナル・デザインですか。まあ、よくわからないけど、その合理精神のかたまりみたいなものとは、相容れる道理がないってことですね。

 そいつを証明するために、ここで落語家になる道筋を少し詳しく紹介いたしましょう。

2.落語家への道程

 落語家になるには、まず、好きな師匠のところに弟子入りしなくちゃいけません。弟子入りして「見習い」になると、この間は、師匠の身の回りの世話から師匠の家の食事、掃除、洗濯、家事全般をやります。師匠のお供で衣装の入った鞄を抱えて寄席に通ったりもする。寄席に行っても、何をするってわけじゃない。幕の横で聞き耳立てて、先輩や師匠連の落語を聴くだけ。暇があれば着物の畳み方、太鼓の叩き方を練習します。

 一定期間が過ぎると「前座」になれる。これを「年が明ける」とか「年季が明ける」といいます。「前座」は寄席に通って、楽屋で師匠たちにお茶を出したり、高座から降りてきた師匠や先輩落語家の着物を畳んだり。高座の座布団をひっくり返すのも前座の役目です。見習い期間中に習ったことを、寄席の楽屋で実践するのが前座の仕事といってもいいでしょうね。

 そのあとに二ツ目、真打と昇進していくわけですが、それぞれに要する期間は、こんな感じでしょうか。

 (あ)見習い(2年から3年)

 (い)前座(5年前後)

 (う)二ツ目(10~15年)

 (え)真打(死ぬまで)

 見習いの間は雑用ばっかでつらいんですが、最低限の衣食住の面倒は師匠が見てくれます。ところが前座になると自分で稼がなけりゃいけなくなる。もちろん、そう簡単に仕事があるわけじゃない。うまい飯や酒にありつきたくて、ヨイショやタカリがうまくなるのが前座の時代です。これは生きる知恵みたいなもんですな。

 二ツ目になると、羽織、袴の着用が許されます。個人で勉強会なんてものを開いてもいい。寄席の出番も増えてきます。

「真打」は死ぬまでですかって? そのとおりです。サラリーマンと違って定年もなければ、スポーツ選手と違って引退もない。よぼよぼの爺さまになっても、弟子に背負ってもらってでも、高座に上がるってえ落語家もいます。これくらいになると、お客様の方も、その落語家が座布団の上に鎮座ましましているだけで、ありがたやーなんていって、伏し拝んだりする。浅草の観音様かお釈迦様か、はたまた世界遺産か、みたいになっちまうってワケで、はい。

 そうなんです。落語家ってのは、一生ものの仕事なんです。たいていの落語家は死ぬまで落語家でいようって料簡(りょうけん)でいますね。それほど落語家ってのは、儲かりゃしないが、やりがいがあるってことなんです。

 そうそう、いま「料簡」という言葉をつかいましたが、落語の世界で師匠が弟子に第一に教えようとするのが、この「料簡」です。

「料簡」という言葉を辞書で引くと、「推(お)しはかり考えて、より分けること。考察して検討すること」「考えをめぐらして判断すること」なんて意味が出てきます。ほかに「狙い」「たくらみ」「くわだて」なんて意味もありますが、落語の世界では、もう少し広い意味で使われています。どんな意味かってえと、つまり「生きざま」「生きかた」ってなことでしょうか。もっと極端にいえば、ふつうの人間だったのが、落語家ってえ別の人種に生まれ変わるといってもいい。とおりいっぺんの仕事や職業じゃない――ってえことをご理解いただきたいんでございます、はい。

3.新弟子教育法――落語家の「料簡」を教える

 落語ってものが、この世に生まれ落ちてから300年が経っているそうです。その間に多少の変化はあったでしょうが、基本的なことは変わっちゃいない。弟子の躾(しつ)け方についても、100年以上もの経験がありますから、その間に、煮詰められ、鍛えられて、いまじゃ完成の域にあるといっていい。それを無視して、いまさらシステムがどうのといわれても、こちとら頭が痛くなるだけですから。

 弟子の育て方にしても、先達がやってきたことを踏襲してるだけってのが、本当のところです。

 新しく入ってきた弟子に最初にすることは、まず第一に、躾けなんです、躾け。人間扱いなんかしてません。犬や猫と一緒です。弟子がしくじりをやれば、師匠が怒って扇子を投げる、湯飲み茶碗を投げる、お膳を投げる、包丁……までは投げませんがね。

 弟子は、見習いの間、師匠の身の回りの雑用をやるわけですが、たとえば弟子が煎れてくれたお茶が熱いのぬるいのと難癖をつける。陽気が良くて汗ばむようなら、お茶は少しぬるめに。薬の袋がお膳に出ているときは、お茶じゃなくて白湯にする。こんなことは最初っから教えてもらうわけじゃありません。何も教えられてないから、最初は必ずしくじって怒られる。

 しかも最初は、なんで怒られているのかがわからない。それでも、「こんなことくらいわからねえのか、このバカ!」と怒鳴られる。理由もわかんないまま怒られるなんて、こんな理不尽なことはありません。これで嫌んなって辞めちまうのもいる。でも、それはそれでしかたがない。これは、その弟子が、本気で落語家になりたいのかどうかを試すテストでもあるからです。

 そもそも落語家になりたいなんてのは、子どもの頃からお喋りで、学校や町内で冗談を言っては友だちやら近所の人を笑わせてばかりいて、人を笑わせること、自分をネタに笑われることが快感になっちまったようなヤツばっかしなんです。

 落語家になれば50人、100人という人を笑かすことができる。寄席で落語家が、大勢のお客を自在に操って、どっと笑わせたり、ときには人情噺でしんみりさせたり……。落語好きの若いのが、こんなのを見ていたら、自分もやってみてえ……と思うのは自然の摂理ってもんでしょう。このあたしだってそうだったんですから。

 いつか二ツ目、真打になって、寄席の高座の真ん中に座り、お客さんをドッと笑わせてみたい。そんな夢があるからこそ、酷な修行にも耐えられるってえものなんです。

 最初は、なんで怒られてるのかわからない。師匠にゃ怖くて訊けない。兄弟子に訊いても教えちゃくれない。自分で考えるしかないんです。で、考えに考え抜いて、どうしてもわからなくなったら、師匠や兄弟子に泣きつく。そこで、それは、これこれこうだからって理由(わけ)を教えてくれる。へ? 最初は自分の頭で考えろってのを、早稲田大学じゃ早稲田魂ってんですかい。じゃ、大学の学問も落語の修行も、たいした違いはないのかもしれませんね。

 それはさておき師匠が弟子につらく当たるのだって、何も弟子が憎いからじゃない。そういうことは、おかみさんだとか、ときには兄弟子なんかが師匠の真意をフォローしてくれる。低下した「やる気」を、よいしょと引き戻してくれるってわけですね。

 もちろん師匠のあたしだって、ちゃんと弟子の顔色は見てる。弟子がふさぎ込んでたら、これでどっか遊びにでもいって、パーッと憂さを晴らしてこい、なんていって小遣いを持たせてやったり……なんてこともあるわけです。そして、帰ってきたら、また無理難題を吹っかけるわけでして。

 弟子ってのは、たとえば師匠が理不尽なことをいっても、その顔色を読んで、何を言い出すかわかるようにならなくちゃいけないんです。師匠のそばにベッタリくっついて、身の回りの世話をしているうちに、師匠の身体の傾け具合、目の動きだけで、次に何を言い出すかが読めてくる。こんな先読み、気配りが、実は落語家にとっては必須の能力なんです。

 ええ、そうなんです。落語って芸は、基本的には、いまの言葉で言うとライブです。生身のお客さんの前で演じる芸で、それこそ季節や天気によってネタを変えるのは当たり前。寄席の高座に上がって、ああ、今日は観光バスの団体さんが多いな、と思ったら、素人衆にもわかりやすい噺をやる。通のお客さんが多そうだったら、じっくり聴かせる噺にする。落語がはじまってからでも、たとえばマクラを振って反応を見て、その笑いの具合で予定していたネタを変えるときもある。落語家には、そんな臨機応変さが必要なんです。

 ぼんやり生きていたら、場の空気を一瞬にして察するなんてことはできっこありません。落語家は、一見、ヘラヘラしてバカそうに見えますが、実は気配りが羽織袴つけて歩いているようなもの。その気配りを身につけるのが、見習いの時代ってわけなんです。

 こいつは何とかつづきそうだと確信が持てたら、初めて落語を教えます。もちろん最初っからむずかしい話じゃない。「寿限無」だの「時そば」だのって短い噺を教えます。

 ちょっと前ならテープレコーダー、近頃ならビデオからデジタルレコーダーとかいうものまで、便利な道具が揃ってますから、要領のいいのは、すぐそういうものを使いたがる。まあ、落語家の中には、機械ものが好きな師匠もおりますから、そんな人は、時代の波に合わせて、機械を使ってもいいんだよ、なんてことを弟子に言うかもしれない。

 でも、あたしんとこはダメ。せいぜい速記本に目を通すのくらいですかね、許すのは。それは、稽古を真剣勝負にしたいから。録音しといて、あとで聴き直せばいいや、なんてのは、それこそ考えが甘すぎる。

 稽古のときは、師匠のあたしと弟子が向かい合って、まず、あたしが一席演じてみせます。ふつう、「三遍(さんべん)稽古」といって、同じ噺を3回演じてみせる。それで憶えられなけりゃ落語家失格です。この先、何十もの噺を憶えていかなくちゃいけないんだから。

 二ツ目くらいになると、長い噺をやるようにもなる。そんなときは、長い噺を前中後の3つに分けて、それぞれで、やはり三遍稽古をやりますが、それはさておき……。

 見習いの弟子は、1回、師匠の見本を聴いたら、必死に暗記して、それを自分の部屋やら厠やらで、何度も何度も暗誦しては、つっかえないで喋れるようになるまで練習する。

 その出来具合を師匠や兄弟子の前で披露して、まあいいだろうってなことになったら、ようやく寄席デビューです。最初っからうまく喋れるわけがない。初めての高座の前には、「後ろの客席まで聞こえるように、とにかくでかい声で喋ってこい」なんてハッパをかけて送り出すわけです。

 こうして寄席デビューを飾れば、年季明けもまもなく。見習い期間も終わり、ひとり立ちの季節になるわけです。もちろん落語家ってのは一生ものの仕事ですから、稽古も一生ものなんです。もちろんあたしだって、毎日の稽古は欠かしちゃおりませんです、はい。(インタビュー了)

おわりに――インストラクショナル・デザインの導入を断念

 落語の修行が、いかに不合理で理不尽なものかは、すでに周知の事実である。とりわけ新弟子時代、見習いとして師匠の身の回りの世話をしているときが、いちばん右往左往する時期であることも知られている。

 修行の方法を工夫すれば、新しい噺をより効率的に憶えたり、もっと短期間のうちに前座、二ツ目とステップアップできるのではないか――と考えたのだが、それは大きな間違いであった。

 お花やお茶のお稽古とは異なり、落語の修行はプロになるためのものである。お免状をいただけば弟子を取って生活できるタイプの芸事ではない。絶えずお客の注目を浴び、厳しい批評に耐えなければならないのだ。

 しかも落語家は、寝ているときでも死んだあとでも落語家である。つまり、落語家とは、職業や仕事を超越した生きざまそのものなのではなかろうか。

 落語家になるための弟子教育法も、一見、旧態依然とした非合理なものにみえるが、300年の歴史の中で煮詰められ、洗練された合理的なシステムとして、完成の域に達していたことに、あらためて気づかされた。

 そもそも、落語家志望者のほとんどは、名人と呼ばれた大落語家を目標に選んでいる。ゴールは遠く、そして、あくまでも気高いのだが、これが、高いモラルを維持しているといっていい。落語家の世界では、弟子の「やる気」や「動機づけ」を心配する必要はない。もしもやる気を失ったら、そのときは落語家を廃業するまでの話だからである。

 とはいえ、スモールステップともいえる通過点としてのゴールも用意されている。それが「見習い」「前座」「二ツ目」「真打」という階級制度である。現在の制度では、いちど真打になれば、当人が辞退しない限り、いつまでも真打でいられることになっている。おかげで落語協会だけでも200人以上の真打がいて、二ツ目よりも人数が多い。そのため真打になったとたん、モラル低下を起こす落語家も多いというが、ここでは、そのことには触れず、新弟子時代のことを中心とした。

 落語の世界にIDの概念を導入していくとすれば、師匠の側がシステムの概念を理解し、弟子育成法に採用する必要がある。だが、システムの概念を弟子の教育――そう、初期の段階は、まさに「人間教育」である――に導入した場合、師弟関係がドライになる可能性もある。

 それが落語という古典芸能の維持や発展に不可欠なのか、私には結論が出せず、今回は、IDからの切り口による新しい落語家育成法のカリキュラム作りを断念した。無理にカリキュラムを作成してもよいのだが、それではきれい事を並べたウソになりそうだからである。

 落語に限らず、ほかにも数ある芸事、技能の徒弟制度の中にIDを導入していくとしたら、合理性や効率性という切り口ではなく、理念や理想、モラルアップに効果のある方法を模索する必要があるのではないか。「教育工学」に「教育学」的アプローチを導入していくものだが、おそらく現在のIDは、そのような切り口からの導入も可能なはずであろう。

 今回は、長い歴史によって築かれた厚い壁に、あっさり跳ね返されたような印象が残ることになった。まさに、力いまだおよばずである。今後さらにIDの世界を学習することによって、新しい時代の徒弟制度のありかたを考察し、できうることなら、落語家教育のID化に挑戦してみたいと考えている。

 以上

参考資料:

  • 『落語入門百科』(相羽秋夫、弘文出版)、『落語家』(立川志の輔、実業之日本社)、『落語ワンダーランド』(ぴあ)、『全身落語家読本』(立川志らく/新潮選書)ほか多数。
  • 参考URL:「古今亭菊之丞インタビュー」(http://homepage3.nifty.com/kejokoku/wagei/kikunojo/kikunojo_1.htm
  • インタビュー:鈴々舎わか馬(新弟子時代の様子、稽古の方法などを直接取材)。