(図:Amazon Annual Reportより)
eスクール「情報と職業」課題レポート1
この文章は、2005年、54歳で早稲田大学人間科学部eスクール人間情報科学科に入学したマンガ家すがやみつるが、「情報と職業」という科目で提出された「Amazon.comのビジネスと将来の展望」という課題のために書いた、初めてのレポートです。まだ、論文やレポートのような学術的文章の書き方を知らず、また、「2,000字以上」という条件を鵜呑みにして、なんと1万7,000字以上も書いてしまいました。
レポートの点数は、30点満点で50点がつけられていましたが、自分が教員になってみて、こんなに長いレポートが、いかに多忙な教員の貴重な時間を奪うかを実感しました。担当のN先生は、「教員冥利に尽きます」とコメントしてくださいましたが、その後、レポートの条件が「2,000字程度」に変更されたところをみると、やはり、迷惑だったのではないかと、心の中で平身低頭しています。
■Amazon.comのビジネスと将来の展望
菅谷 充(すがやみつる)
1980年代後半,当時,世界最大のユーザー数を誇っていたアメリカのパソコン通信サービス「コンピュサーブ」(CompuServe (*1))に,「マジックキャッスル」(Magic Castle)というオンライン・ビデオショップがあった.当時,日本でアメリカ映画のビデオソフトを買うと,1本1万円以上もした.ところがアメリカのビデオ店では同じビデオソフトが半額以下で買えるのだ.航空便や国際宅配便の送料がかかったが,数本まとめて買うだけで,1本あたりの値段は日本国内で輸入品を買うよりも格段に安くなった.
この店を愛用していた私は,当時,英語に不慣れだったこともあり,たまに注文内容を間違えることがあった.戦争映画を注文したつもりが恋愛映画のソフトを頼んでしまったこともあれば,VHSのビデオソフトを注文したつもりだったのに,うっかりレーザーディスク(LD)を選んでしまったこともある.だがマジックキャッスルの店主は,そのまま商品を送ってくるようなことはせず,事前に確認のメールを送ってくれた.私が過去に恋愛映画やLDのソフトを買ったことがないことを購入履歴で確認したうえで,「ラブロマンスは誰かにプレゼントするのか?」「LDの再生装置を買ったのか?」と問い合わせてきてくれたのだ.恋愛映画を見る趣味もなく,LDの再生装置も持っていなかった私は,店主からのメールで自分のミスに気づいては,あわてて注文の訂正をお願いしたものだった.
店主は,私の注文の傾向まで把握し,同種の新作ソフトが発売になるたびに,即座にメールで連絡してくれた.『トップガン』のようにアメリカで発売になってから3日も経たないうちに届いたビデオもあったし,映画館で見損ねた名作や日本では未公開だった映画まで見ることができたのも,このビデオ店のおかげだった.
同じビデオ店に,30年以上も昔の子供時代に見た映画について問い合わせた知人がいた.「落雷で木が倒れたシーンがあった」という断片的な記憶と,「ディズニーの作品だったような気がする」という漠然とした推測だけをたよりに,こんな映画に心当たりがないかと尋ねたのだ.すぐにメールの返事があった.心当たりのある映画のビデオソフトを送るから見てほしいという内容だった.もしも違っていたら返品してかまわないとも書かれていた.しかし,このビデオを返送する必要はなかった.送られてきたビデオは,知人が,どうしても見たくて,長年さがし求めていた映画そのものだったからである.
このような対応をされれば,その店のファンにならないわけがない.店主自身も映画好きだったのだろうが,それ以上に顧客を喜ばせることに生き甲斐を感じているかのような対応ぶりで,ほかにも何人ものネット仲間が,この店の顧客になっていった.
このビデオ店から,「店の権利を別のビデオ業者に売ることになったので了承してほしい」というメールが届いたのは,2年ほど経ってからのことだった.メールには,いかに自分が顧客サービス優先の生活を送ってきたか,そのために生まれたばかりの子供もかまってやることができず,奥さんとの関係もうまくいかなくなってしまったという内容の文章が,切々とつづられていた.このオーナーは,店の権利を売り渡し,家族との関係を修復するために,これから数ヶ月間,家族でアメリカ中を旅してまわることにしたのだという.
私は,彼の打てば響くような迅速な対応を知っていた.個人経営の店であれば,家族を犠牲にしていただろうことも容易に想像がついた.そのため彼の幸運を祈る文章とともに,顧客リストが新しい業者の手に渡ることも了承する返信を送ったのだが,新しい業者から買い物をすることはなかった.DMも届かなければ、新作ソフトに関する問い合わせのメールを出しても返事が届くことはなかったからである.
その後CompuServeには別の大手ビデオショップが入ってきたが,1回か2回,買い物をしただけで終わっていた.顧客対応は機械的で,買い物の「楽しさ」がなくなってしまったからである.店の対応が機械的ならば,安い方を選ぶ.その頃には,国内で販売されるビデオソフトの値段も下がりはじめていた.
(現在も,マジックキャッスルを愛好していた知人,友人たちが集まるたび,オーナーの顧客対応ぶりが話題になる.それほど,この店の顧客第一主義は徹底したものだった.(*2))
それから8年ほどが過ぎたとき,突然,私は,このマジックキャッスルというビデオ店のことを思い出すことになる.それは1997年,初めてAmazon.comで本を買ったときのことであった.
2.「お客様は神様です」――Amazon.comの徹底した顧客第一主義
Amazon.comがインターネット上に姿を見せたのは,1995年のことである.Windows 95が登場し,アメリカではクリントン&ゴア政権が提唱した「情報スーパーハイウェイ構想」が,インターネットのユーザーを急激に拡大しているときでもあった.
インターネットのユーザーを急拡大させた張本人はアメリカ・オンライン(AOL)であった.1980年代後半に存在したクアンタムというネット情報配信サービスの会社を前身としたパソコン通信サービスのAOLは,90年代に入ると通信ソフトの無料配布によってユーザーを拡大し,CompuServeとの間でユーザー獲得合戦をつづけていた.
その戦いがピークに達し,AOLがCompuServeを買収するのは1997年になってからのことである.その直前,ひたすらユーザー獲得だけをめざしたAOLは,Windows 95の時代になると,それまでフロッピーディスク数枚組だった専用通信ソフトをCD-ROMに変え,「ガソリンスタンドから大学のカフェテリアまで」という標語のもと,大量に配布しつづけた.
AOLの売り文句は「インターネットにも接続できる」ことだったが,1995年当時,AOL自身のサービスにもインターネット上にも,満足なコンテンツサービスは少なく,ユーザーたちは個人のWebサイトを覗いて歩くくらいが関の山だった.
当時,CompuServeやAOLのようなパソコン通信サービスは「オンライン・サービス」と呼ばれていた.インターネットからの接続も開始されていたが,基本的にはホストコンピュータに多数のパソコンがぶらさがる「閉じたネットワーク」である.そのためメール,フォーラム,BBSといったコミュニケーションのサービスも,同じCompuServeやAOLの会員同士では利用できないクローズドなものになっていた.
しかし,「閉じたネットワーク」にも利点があった.インターネットのような開放型のネットワークでは,途中でデータが「盗聴」される危険があったが,閉じたネットワークでは,基本的に盗聴の心配がない.CompuServeがオンラインショッピングをはじめとするトランザクション・サービスに力を入れることができたのは,ネットワークが閉じていたからでもあったのだ.しかもCompuServeは,足回りの回線網まで自前のものを持ち,クレジットカード(VISA)の認証サービスまで請け負っていた.
オンラインショップの出店者にとっても顧客にとっても,このようなネットワークなら,安心してクレジットカードの番号を流すことができる.CompuServeの会員数が増加するにつれ,デパートやアパレル,家電の大手通販業者がこぞって出店したのも当然であった.
一方,アメリカの国防目的でスタートしたARPANETを源流とするインターネットは,1994年頃から民間開放が開始されたものの,ネットワークを流れるデータは途中のサイトで覗かれる危険あるため,クレジットカードの番号を送るときは「覚悟」が必要であった.そのためオンラインショッピングの業者たちは,注文はネットで受け付けても,クレジットカードの番号はFAXで送るよう求めたものだった.クレジットカードの番号が途中で漏れることを恐れる顧客に安心感を与えるためである.
アメリカのカタログ通信販売(メールオーダー)の歴史は,ニュージャージー出身のアーロン・モンゴメリー・ワードが1872年にシカゴで始めた農民向けの雑貨販売を嚆矢とする.その後,鉄道会社で駅長をつとめていたリチャード・ウォーレン・シアーズがはじめたシアーズ・ローバック社(1893年創設)が,20世紀中盤には全米最大の小売業となるなど,アメリカでは通信販売という流通システムが当たり前に受け入れられていた.(*3)
通信販売とDIY(Do It Yourself)のビジネスは,アメリカ合衆国の広大な国土(日本の40倍)と,低い人口密度(人口は日本の2.5倍)によって繁栄した.近隣にデパートもスーパーもない「田舎」が大半のアメリカでは,通販が,消費社会を支える重要な流通の担い手でもあったのだ.
1984年に巨大電話会社AT&Tが解体され,長距離電話会社と地域電話会社が増加した.その結果,電話料金が下がることになり,カタログ通販(テレビ通販もスタートしていた)の注文方法は,それまでの郵便から,電話へと主流が移っていた.電話のオペレーターに代金決済用のクレジットカードの番号を伝える方法である.このシステムを悪用したクレジットカード詐欺やクレジットカード偽造事件が増えたことが,消費者に警戒感を与えていた.とりわけインターネットはセキュリティ面に弱点があることが喧伝されていたことから,1995年頃のインターネットを利用した通販は,いまひとつ伸び悩んでいた.カタログ通販,テレビ通販の企業がインターネットに本格的な進出を果たしていなかったことも無関係ではないだろう.そのような状況の中に果敢に飛び込んだのが,ジェフ・ベゾス率いるAmazon.comであった.
1964年,ニューメキシコ州アルバカーキ(1975年にマイクロソフト社が創業した地でもある)生まれのペゾスは,プリンストン大学で電気工学とコンピュータサイエンスを学んだ後,1986年,ニューヨークに向かい,ウォールストリートに職を得た.バンカーズ・トラスト社など2社でヘッジファンド用のシステムを構築し,いずれも最年少の副社長に昇進するが,1994年,独立を決意し,新しいビジネスのアイデアを練る.(*4)
ペゾスが目をつけたのは,インターネットを通じた書籍通販ビジネスであった.アメリカでは,大型書店は大都市にしかなく,雑誌も書籍も通販で求めるのが当たり前になっていた.新聞,雑誌の書評欄が権威を持っているのも,書店で現物の確認ができない読者が多いからである.ブッククラブという会員制の図書流通ルートが発展していたのも,近所に書店のない地域が多かったからだ.しかも書籍は,数百万もの種類がある典型的な他品種商品で,その中から目的の本を探し出すことは至難の業でもあった.
書籍のネット通販は,すでにおこなわれていたが,いずれも書店ベースの小規模なものであった.多くは専門書店によるもので,パソコン通信サービスやWebサイトを通じてカタログを取り寄せ,メールで注文するスタイルになっていた.たとえば私が利用していたイリノイ州のモータースポーツアイテム専門店「Motorsport Collector」(書籍も含む, *5)では,顧客がネットから無料のカタログを取り寄せ,メールで商品を注文する方式となっていた.ロンドンの自動車書籍専門店「Motor Books(*6)」では,1冊1ポンドのカタログを取り寄せる方式で,当初は郵便かFAXで注文するシステムだったが,1995年からはメールで注文できるようになった.
アパレル,ビデオソフト,音楽CDといった業界では,早くからネットにカタログが掲載され,オンラインで注文ができるようになっていた.これはアイテム数が少ないからできたことでもあった(アメリカ国内で発売されている書籍は150万点,CDは30万点といわれていた).書籍の場合はメーカー(出版社)の数が多く,また,その規模も個人の自費出版レベルのものからタイムワーナーやペンギンのようなコングロマリット・メディアの一部となっている大企業に至るまで,実に多彩であった.ISBNの義務化によって書籍のデータベース化は進んでいたが,そのデータはCD-ROMで提供(有料)されており,オンラインで書籍検索をする場合には,高額の料金が必要だった.
ロンドンの「Motor Books」では,扱う書籍の種類が自動車・鉄道・航空・船舶・軍事に特化されていたこともあって,自力で商品のデータベースを構築し,1995年からWebからのタイトル,著者名,キーワードによる書籍検索と注文を可能にした.ただし,当初はSSLの機能もなかったため,クレジットカードの送信にはFAXを使うか,クレジットカードの番号を分散して記載するという苦肉の策を取っていた(連続した数字ではないため,途中で覗かれてもクレジットカードの番号と認識されにくい).また低速のダイヤルアップ接続が主流であったため,書影の画像も一部の本だけに限られていた.
ベゾスは,1994年,西海岸のワシントン州シアトルで起業し,翌1995年,インターネット上にネット書店Amazon.comを開業した.ワシントン州を本拠地にしたのは,小さな州(人口が少ない)であったこと(アメリカでは州ごとに売上税が課せられる州が大半だが,州外への物品販売は非課税になる.そのため州外の人は売上税分だけ安く商品を購入できる),近くにコンピュータ・システムを構築できる人材が多いこと(シアトルにはマイクロソフトの本社もあり,コンピュータ系の技術者も多い)の2点が決め手となった.コンピュータ技術者に関しては,カリフォルニア州のシリコンバレーの方が人材が多いが,同州は人口が多く,顧客となりそうな人も多かったことから創業の地とすることを断念したのだという.
Amazon.comが鳴り物入りでオープンした当初から,私は当時使っていた「Mosaic」というブラウザ(CompuServeが無料配布していたもの)で接続し,店の中をうろついていた.しかし開店直後は,画面の表示も遅く,品揃えも貧弱だったため,本の購読には至らなかった.必要となる洋書は,前述のMotorsport CollectorやMotor Booksで間に合っていたからである.
Amazon.comで最初に本を買ったのは,1997年の春になってからだった.インターネットに接続する回線がISDNになり,28,800bpsのモデムを使ったダイヤルアップの時代に比べれば,画像の表示にもストレスを感じなくなっていた.
最初にAmazon.comで買ったのは,仕事で必要になったダグラス・マッカーサーに関する本だった.「MacArthur」をキーワードとして本を検索すると,たちまちダグラス・マッカーサーに関する本が何冊も表示された.しかも,それだけではなかった.このとき調べていたのは,ダグラス・マッカーサーの父,アーサー・マッカーサーのことだったのだが,彼の伝記が出版されていることまでわかったのだ.私は,急いでマッカーサー父子に関する本を5冊ほど注文した.
ワンクリック(1-click)での注文は,まだ導入されておらず,ショッピングカートを利用した(1-clickのビジネスモデル特許申請は1997年9月)が,手続きは簡単であった.SSLによる認証システムも組み込まれていたため,クレジットカードのデータを送ることに不安はなかった.
受注確認のメールも,すぐに送られてきた.こんなに迅速に確認メールが届く例は少なく,Amazon.comの受注システムが,すっかり自動化されていることを実感した.
驚いたのは,次にアクセスしたときだった.最初の買い物から数時間しか経っていなかったはずである.Amazon.comのトップページに接続したとたん,画面に「Hello, Mitsuru Sugaya. We have recommendations for you.」というメッセージが表示されたのを見つけ,一瞬,周囲を見まわした.ユーザー名を入れてログインしたわけでもないのに,画面に名前が表示されたからである.誰かに見張られているのではないかと,一瞬,考えてしまったのだ.
これがCookieのしわざであることは,すぐに気がついた.そして「お薦め」のコーナーに入ってみると,そこはMitsuru Sugayaのための特別なページになっていて,フランクリン・ルーズベルト米大統領,ウィンストン・チャーチル英首相,米太平洋艦隊のチェスター・ニミッツ司令長官,米空母機動部隊司令官のウィリアム・ハルゼー提督,ヨーロッパ戦線で戦車軍団を指揮したジョージ・パットン将軍などの伝記がズラリと表示されていた.よく利用していた銀座の洋書店イエナあたりでも,まずお目にかかれない充実した品揃えである.
しかも1日前に初めて本を買ったばかりなのに,数時間後には,もう「お薦め」の本が表示されたのだ.これは,購入した本の履歴だけでなく,その本のカテゴリーやジャンルまでもがデータベース化されているからに違いない.クリックした本の履歴までもが記録されるようになるのは,もう少し後のことだったはずである.
まんまと「reccomendation」の罠にはまった私は,すぐに数冊の本を注文し,以後も,Amazon.comから洋書の購入をつづけるようになる.「こんな書店ができたらイエナもやっていけないだろうな……」と考えたが,実際,そのとおりになってしまった(*7).
やがてヨーロッパや日本(Amazon.co.jp)でもAmazonのサービスが開始された.洋書を探すときは,日米はもちろん英国のサイトもチェックして,価格と送料を検討しながら,どこから購入するかを決定した(ただし,最近は「アマゾン・アソシエイト」に参加していることもあり,本の購入はAmazon.co.jpに絞っている).
Amazon.comで「reccomendation」を体験したとき,とっさに思い出したのが,1980年代後半に,いつも「お薦めのビデオ」を教えてくれたCompuServeのビデオショップ「マジックキャッスル」の店主のことだった.「彼のオンラインショップにも同じようなシステムが組み込まれていたら,家族と過ごす時間も確保でき,店を売り渡す必要もなかったに違いない」と考えてしまったのだ.
もちろん10年に近い間の技術進歩が,Amazon.comのシステムを生み出したのは間違いない.このシステムについてAmazon.comの創設者でCEOのジェフ・ベゾスは,後に以下のように述べている.
"We also want to 'redecorate the store' for every customer. We can let people describe their preferences, analyze their past buying patterns, and create a home page specifically for them. If you're a big mystery reader, we can show you the three hottest new mystery novels and highlight one from an author you've bought before." (「私たちはすべての顧客ごとに,店の飾りつけを変えたかったんです.私たちは顧客に対し,彼らの好み,過去の購買パターンの解析結果を説明し,顧客ごとに分けたホームページを作ることができます.もしもあなたがミステリーの大ファンだとしたら,私たちは3冊の最もホットな新刊と,あなたがこれまでに買ったうちの1人の作家の作品から,そのハイライトを見せることができるのです」(*8))
またベゾスは,次のようにも語っている.
「オンライン書籍販売を,小さな書店の時代に戻したいんです」「そのころの書店は,顧客自身のことをとても良く知っていて,『あなたはジョン・アービングのファンですよね.でね,これは新人の作家なんだけど,ジョン・アービングにすごく似ていると思うんですよね』なんて言えたんですよ」(*9)
いずれも2000年代になってからの発言だが,ベゾスはAmazon.comの創業直後から,同種の発言を繰り返していた.
どうやらAmazon.comは,コンピュータに小さな書店の店主をさせるつもりだったらしい.つまりAmazon.comがめざしていたのは,私がCompuServeで贔屓にしていたビデオショップと同様の「顧客に親切な店」の集合体ということになる.それがAmazon.com,いや,ジェフ・ベゾスの考える「顧客第一主義」の具現化でもあったのだ.
Amazon.comの主張する顧客第一主義の内容は,Selection(品揃え),Convenience(簡便さ),Price(価格)が3本柱となっている.
「品揃え」については,最初から豊富だった.ただし名目上のことだけで,自前の在庫を持たないため,注文してから顧客の手元に届くまでには長い日数が必要だった.Amazon.comがスタートした当初,私が魅力を感じなかったのも,ここに理由がある.「Motor Books」のようなレンガ&モルタルの書店がオンラインショップで提供する在庫リストは,実際に書店が保有している商品の一覧だったからである.当初,在庫を持たなかったAmazom.comは,この点に弱点があった.
しかし,この弱点は,すぐに解消されていく.1996年11月,シアトルに倉庫を借り,つづいて東部デラウェア州ウィルミントンにも倉庫を借りたことで,とりわけ動きの速いベストセラーを20万部ずつ保管できるようになったからである.
「簡便さ」については,前述の「お薦め本」や「ワンクリック」の機能があり,さらにユーザーによる書評も,本を買いたい人たちのきっかけづくりに貢献した.さらに「アマゾン・アソシエイト」と呼ばれる世界最初のアフィリエイト・プログラムを導入し,他のサイトからのユーザー誘引にも成功した.
「低価格」については,リアル書店を持たないため,その経費がかからなことから,最初から割引価格を提示した.送料が有料であるために,割引価格にしないと,リアル書店と競争できないという理由もあった.
全米最大の書店チェーン「バーンズ&ノーブル(B&N)」が,Amazon.comの買収に失敗したあと,みずからネット書店をオープンさせ,膨大な資力をバックにベストセラーの安売り合戦を仕掛けてきたことがあった.Amazon.comは,この戦いを受けて立ち,安売り合戦を展開した.ちなみにこのような書籍の値下げが可能となっているのは,日本と異なり,再販制度が撤廃されているからである.再販制度のある日本のAmazon.co.jpは,1,500円以上の商品を購入した場合,送料を無料にすることによって実質的な値下げをおこなった.その結果,他社のネット書店も追随せざるを得なくなり,実質的な値下げの常態化をもたらすことになった.書店にとっては大変だろうが,顧客にとってはありがたいことである.
Amazon.comは,「世界一の顧客中心企業(Earth's Most Customer-Centric Company)」でありつづけるために,上記のような機能拡大に多額の投資をつづけていった.その結果,売上げは拡大しつづけるのに,利益を出せない状況がつづくことになった.Amazon.comがNASDAQに上場したのは1997年だが,このとき株主向けに出した「1997 LETTER TO SHAREHOLDERS」という手紙が,以後,毎年の年次決算報告書につけられるようになる.
この「手紙」は,売り上げは加速度的に伸びているが,ウォールストリートを喜ばせるような短期的経営政策ではなく(アメリカの企業では,株主の利益を最優先するため,四半期ごとに利益を出すことが最優先されてきた),あくまで長期的な展望に立った経営をつづけていくことの決意表明書でもあった.そして,この手紙で述べているとおり,先をにらんだ投資をつづけた結果,Amazon.comは赤字を出しつづけることになる.
Amazon.comの最初の危機は2001年に訪れた.1998年12月28日には361ドルの最高値をつけた株価が,ITバブル崩壊の余波を受けて下降の一途をたどり,資産を減らすことになったからである.市場が,いつまで経っても利益を出さないAmazon.comの体質に,ノーを突きつけたのだともいわれていた.
株価が13ドルまで下落した2001年1月には,1,300人の社員の解雇を発表し,黒字体質への転換を図る.しかし,株価の下落傾向は止まらず,また,資金にも不安が出てきたために,同年7月,AOLから1億ドルの出資を受けることになる.米国証券監視委員会(SEC)に提出された報告書には,AOLによるAmazon.com買収に関する条件も付されていたため,Amazon.comがAOLの軍門に下るのではないかという噂も流れることになった.
全米最大(世界最大)のインターネット・サービス・プロバイダー(ISP)となっていたAOLは,1997年にライバルだったCompuServeを買収した後,翌1999年にはブラウザ「Netscape Navigator」の開発元であるNetscape社を買収し,ワークステーションの巨人Sun Microsystemsと提携するなど,拡大政策をつづけていた.2,000万人の会員から入る巨額の月額料金と高株価による潤沢な資金を持つAOLは,その後も拡大路線を続行し,2000年1月にはメガメディアのひとつであったタイムワーナー社を買収したばかりだった.IT業界の勝ち組となったAOLは,次のターゲットとしてAmazon.comを選んだのだといわれていた.
Amazon.comの株価は2001年10月1日に5.5ドルの最安値を記録するが,これを底値に,ゆるやかな上昇に転じていく.売り上げが順調に伸び,赤字の幅も縮小されていったからである.
この間,ジェフ・ベゾスは積極的にメディアに登場した.それもアメリカン・ドリーミングを追いかける若き経営者としてである.シアトルでベゾスが通勤に使う自動車は,運転手つきのリムジンではなく古びたホンダのアコードで,会社では,創業当初に荷造り用として,特注のドア板を使ったデスクを愛用していることが紹介された.クリスマスシーズンで発送業務が忙しくなると,CEOのベゾスも膝当てのサポーターをつけて書籍の梱包を手伝うといったエピソードまで紹介されたものだ.
強調されていたのは,ベゾスのインターネットに懸ける夢(オタク的な純粋さも含む)である.ベゾスとAmazon.comは,まさに一心同体であり,ベゾスのイメージアップはAmazon.comのブランド力向上にもつながった.
株価が低迷している間,Amazon.comが腐心したのは,「ブランドイメージ」の確保だった.ベゾスたちが必死にブランドイメージを確立している間もシステムの改善はつづけられ,扱う品目も,書籍,CD,ビデオから,オモチャ,家電製品,生活用品と拡大していった.書籍販売では,売り上げが大きくなっても利幅が小さかった.しかし,単価の高い他の商品を書籍と一緒に送ることで,利幅を大きくすることができるようになったのだ.
そして,創業以来2002年までつづいていた赤字決算も,2003年度にはついに黒字に転じ,2004年度決算では588,451,000ドルの黒字を出すまでになった.
毎年の年次決算報告書に添付されていた「1997 LETTER TO SHAREHOLDERS」も,赤字決算の間は,株主に対する言い訳に見えていたが,黒字決算に変わったとたん,「最初に約束したとおりになったでしょう」と胸を張っているかのように見えるから不思議である.確かにAmazon.comは,「1997 LETTER TO SHAREHOLDERS」で株主に対し「長い目」で見てほしいと要請していたが,6年目にして,ようやく長期ビジョンの公約を実現して見せることができたのだ.
その一方でAOLは,タイムワーナーを呑み込んで社名もAOLタイムワーナーに変更し,AOLのCEOだったスティーブ・ケースが新会社のCEOに就任していたが,2002年度決算で、突然、巨額の赤字を計上した.ケースは同社を去り,社名からもAOLが消され,元の伝統あるタイムワーナーに戻っている.AOLは粉飾決算の疑いもかけられているが,3,400万人にも膨れあがった会員(その多くはアナログ電話回線のダイヤルアップ会員)が,次々とケーブルテレビやADSLのブロードバンドに移行するためAOLを脱退したのが大きな原因であった.AOLは,ダイヤルアップ時代のネット界の寵児に過ぎなかったことが暴露されてしまったのだ.実際,自らのコンテンツも持たず,会員から集めた資金は,自らのネットワーク環境の整備ではなく,企業買収に使われた.そのため当初からAOLは,使いにくいサービスとして知られていたが,新しい高速回線網の到来と同時に,一挙に馬脚を現すことになったともいえそうである.
Amazon.comの株価が低迷していた2001年秋,やはり同様に株価が8ドル台の最安値付近をうろついていたのがYahoo!である.検索エンジンの代表格と見なされていたYahoo!も,Googleの登場によって影が薄くなり,広告収入が入らなかったことが株価の低迷をもたらしていた.もともとディレクトリ型の検索エンジンだったYahoo!は,人間がディレクトリの作成を担当するだけで,ネットの検索部分はGoogleのアウトソーシングとなっていた.
しかしYahoo!は,2002年12月,検索エンジンソフト開発会社のInktomiを買収し,さらに2003年7月には,検索エンジンAltaVistaを買収していたOverture社を買収して,検索エンジンの自社開発を開始した.独自のYST(Yahoo Search Technorody)という自前の検索エンジンが稼働するのは2004年2月になってからだが,このようなサイトの機能強化と,有料会員サービスによって現金収入が増えたことが好感され,株価は30ドル台まで回復した.バブル時のような急激な値上がりは見られなくなっているが,その分、堅実な値動きをつづけている.
復活したYahoo!とAmazon.comの共通点は,どちらも自前でシステムを開発する「技術オリエンテッド」な企業であるという点である.
AOLは,自前の技術を持っていたわけではない.自前のコンテンツも少なく,どちらかというと接続サービスに注力していたプロバイダーで,それもアナログ電話回線を使ったダイヤルアップ接続がベースになっていた.会員数を増やすことに地道をあげ,会員数をベースに多額の広告収入を得て,企業買収に投資していった.IT企業,ドット・コム企業というわりには,技術面がお粗末だったのだ.AOLが市場からそっぽを向かれる一方で,Amazon.comとYahoo!が復活を果たした理由がここにある.
Amazon.comは,企業買収にも資金を投入したが,その大半はAmazon.comでの商品販売が可能な企業であった.一部に失敗した買収例もあったが,大半は,Amazon.comのサイトに入り,商品アイテム拡大策の一端を担っている.
サイトの規模が拡大し,また,アクセスする顧客の数が増加すると,システムがダウンしたり,異様に重くなるといったトラブルが発生するものだ。しかし,Amazon.comがダウンに至った例は,創業以来,ほんの数回だけである.それも短時間で復旧した.その原因は,やはりシステムへの投資をつづけ,充分に検証を重ねてから稼働させてきたからであろう.もちろん,トラブルの少ないことも信頼につながり,ブランドイメージをさらに押し上げた.
2003年以来,決算が黒字となったAmazon.comだが,その後もシステム開発の手をゆるめる気配はない.2003年10月には「Search Inside the Book」という書籍の本文検索をスタートさせた(作家団体の反発を受けてか,印刷機能は停止された)が,オンラインでの立ち読み機能ともいえる機能が追加された結果,書籍の売り上げが9%上昇したという(一部が「立ち読み」できる「Look Inside the Book」は2001年からスタート).
Amazon.comは,経営が好転したことでブランドとしての信用力を高め,その結果,自社で仕入れた商品を販売するだけでなく,他社の商品販売の代行や窓口となるビジネスも拡大した.こちらは自社で商品を仕入れる必要がないため,リスクも小さくてすむ.
現在,Amazon.comが手がける商品は,書籍,音楽,DVD,VHSビデオソフト,雑誌&新聞,コンピュータゲーム&ビデオゲーム,ソフトウェア,家電製品,オーディオ&ビデオ,カメラ&写真,携帯電話,コンピュータ,事務用品,楽器,園芸,自動車,寝室&浴室用品,家具&装飾品,グルメ&食品,台所用品,アウトドア用品,ペット用品,工具,アパレル&アクセサリー,靴,宝飾&時計,美容,健康&パーソナルケア,スポーツ&アウトドア,オモチャ&ゲーム,ベビー用品の31のカテゴリーになっている.
これらのカテゴリーのうち,多くのものは,2001年以降に提携したスーパー小売り大手の「TARGET」,家電販売大手の「サーキットシティ」,オモチャ販売チェーンの「トイザラス」,ベビー用品はトイザラス系列の「ベビーザラス」などの窓口となり,販売コミッションを稼ぐ仕組みである.いわば商品販売のアウトソーシング化であり,Amazon.com自身は,サイトのショッピング・ポータル化,あるいはショッピング・モール化を推進させている.日本の「楽天」に似たビジネスモデルといってもいいだろう.
留意しなくてはならない点は,Amazon.comを立ち上げたジェフ・ベゾスが,決して「出版のプロ」でもなければ「本好き」でもなく,また「流通のプロ」でもなかった点である.ベゾスが書籍販売に目をつけたのは,書籍が典型的な多品種少量商品であるからこそ,ネット通販に向いていると判断したからだった.そして,あまり語られてはいないが,「知的なイメージ」と「文化の香り」のする書籍をネットビジネスの商品に選んだことは,Amazon.comのブランドイメージ確立に大きく貢献したはずである.
Amazon.comというブランドの確立に成功した現在,そして今後は,Amazon.comというブランドを前面に押し立てながら,さらに多角化を推し進めていくのではなかろうか.多角化とは,つまり扱う商品のカテゴリーを増やすことである.たとえば,旅行&ホテル予約,劇場予約といったサービス系のカテゴリーが考えられる.納税申告代行から弁護士の紹介まで,アメリカのネットビジネスでは可能になることだろう.そのうえに,ジェフ・ベゾスの「本業」である金融や証券サービスがメニューに入ってもおかしくはない.
Amazon.comの場合は,これまでアメリカで急成長した企業に見られがちな粉飾決算の気配もなさそうなことから,今後も,さほど大きな問題は発生しないものと思われる.もし懸念があるとすれば,2009年と2010年にやってくる転換社債の償還である.多くのベンチャー企業が,転換社債の償還用資金の調達に失敗して,ビジネスの縮小や終了を余儀なくされているが,もともとが金融のプロであるベゾスは,山師のようなベンチャー企業家とは異なり,勝ち目のないギャンブルのようなことはしないはずである.ここまでの経営方針が,実に着実なものだったように,おそらく資金調達もうまくやり遂げるにちがいない.
以下は,まったくの個人的な推測であるが,ジェフ・ベゾスは,Amazon.comの転換社債の償還にも目処がついたら同社の経営からは手を引くのではなかろうか.そして新たに「Amazon Space Fund(アマゾン宇宙基金)」のようなものを設立し,子どもの頃からの夢でもあったスペースコロニー建設(*10)へ向けての第一歩として,宇宙ステーション建設に乗り出すような予感を抱いている.2010年以降なら,民間宇宙ステーションの建設も夢ではなくなっている可能性がある.2009年に45歳になるベゾスは,これから夢のラストステージに向け,最後のムチを入れるのではないか.そんな気がしてならないのだ.
以上
■註:
(*1)CompuServe(コンピュサーブ), http://www.compuserve.com/
1978年,オハイオ州コロンバスでコンピュータのタイムシェアリング・サービスを提供していた会社がスタートさせたパソコン通信サービス.1986年には日本のニフティサーブとも提携し,世界最大のユーザー数を誇るが,1997年,後発のAOLに買収される.現在もAOLの傘下でサービスを続けているが,ほとんど「死に体」になっている.
(*2)マジックキャッスルのファンだった日本人:
ディズニー映画のビデオを送ってもらったのは中島誠一氏(ニッポン放送デジタル&イベント局デジタルコンテンツ部勤務,武蔵野大学文学部・人間関係学部非常勤講師).著書『触覚ビジネス』(インプレス, 2000)でも,その思い出を述べている.
(*3)米通販の歴史:
History of the United States Postal Service 1775-1993, アメリカ郵政公社(USPS),
http://www.usps.com/history/his2_5.htm
「特別な消費社会」を必要とした孤独な農民たち-米通信販売史(1), 神保隆見(1998),
http://www.yorozubp.com/9806/980627.htm
最大の小売業者になるシアーズ-米通信販売史(2), 神保隆見(1998),
http://www.yorozubp.com/9806/980630.htm
(*4)ジェフ・ベゾフの経歴
『アマゾン・ドット・コム』, ロバート・スペクター著, 長谷川真実・訳, 日経BP社, 2000年7月.
Jeffrey P. Bezos Biography -- Academy of Achievement (2001),
http://www.achievement.org/autodoc/page/bez0bio-1 他多数
(*5)モータースポーツコレクター(米イリノイ州)
Motorsports Collector,
http://www.motorsportcollector.com/
(*6)モーターブックス(英ロンドン)
Motor Books,
http://www.motorbooks.co.uk/
(*7)銀座の洋書店「イエナ」
イエナの閉店は2002年1月.青山ブックセンターの倒産による閉店より2年半早かった.
(*8) "Fast Time"誌インタビュー,
"Face Time With Jeff Bezos ",Feb. 2001,
http://www.fastcompany.com/online/43/bezos.html
(*9)『アマゾン・ドット・コム』,P218, ロバート・スペクター著, 長谷川真実・訳, 日経BP社, 2000年7月.
(*10)同上,P27~28.
書籍
『CompuServe徹底活用マニュアル(改訂新版)』(すがやみつる/HBJ出版局/1992年9月刊/3,200円)
『CompuServeアクセスガイド』(すがやみつる/ニフティ/1994,95,96/2,039~2,100円)
『触覚メディア―TVゲームに学べ! 次世代メディア成功の鍵はここにあった』(中島誠一/インプレス/1999年3月刊)
『AOL―超巨大ネット・ビジネスの全貌』(カーラ・スウィッシャー著/山崎理仁・訳/早川書房/2000年3月刊/2,100円)
『アマゾン・ドット・コム』(ロバート・スペクター著/長谷川真実/日経BP社/2000年7月刊/1,890円)
『Amazon Hacks 世界最大のショッピングサイト完全活用テクニック100選』(ポール・ボシュ著/篠原稔和・編集/ウェブ・ユーザビリティ研究会・翻訳/オライリー・ジャパン発行/オーム社発売/2004年4月刊/3,045円)
『アマゾンの秘密──世界最大のネット書店はいかに日本で成功したか』(松本晃一/ダイヤモンド社/2005年1月刊/1,575円)
『アマゾン・ドット・コムの光と影―潜入ルポ』(横田増生/情報センター出版局/2005年4月刊/1,680円)
新聞記事
朝日,読売,毎日,サンケイ各紙の記事多数を参照(G-Search新聞・雑誌記事横断検索, http://www.nifty.com/RXCN/
〈了〉
※この文章は2005年に書かれたもので、文中のデータは現在の状況と異なるところがあります。最新情報は検索してご確認ください。